然るべき時に
然るべき所で
然るべき人々と
然るべき業を

In the cold and snow of winter there's a spring that waits to be.


La foret de 1192のテーマにもなっている「丁寧な暮らし」とは、決して「自分の思いどおりに生き」て「死ぬ」ことを目指しているわけではないと、思い巡らすことがよくあります。

他者と共に生きるとは、面倒くさいことの連続。
楽しいことばかりではなく、時にいさかいや誤解、すれ違いや裏切りもありましょう。しかしながらその面倒くさい他者とのつながりの中に生きているからこそ、自己の存在意義を認識し、互いに思いやる心が育まれ、結果的に成熟した物語が作られていくのではないか…という認識に、日々の生活や経験を通じて考えさせられるのです。
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言い換えるならば、他者と共に生きるとは、他者とのつながりによって他者の為に生きること。その時々では自分の思うように物事が動かないことがあったとしても、最終的には点と点が結び合わされ、自分が成長させられてきたことに気付く喜びにとってかわる瞬間があります。

また自分自身との関わり方においても、必ずうまくいくとは限りません。
人生における目標を達成しようとした時、自らの努力で勝ち取ることが出来るものと出来ないものがあるように感じています。努力不足でもチャンスの問題でもない時は、「なぜ」と自問するのではなく、その情熱を諦めることもなく、ただそっと「手放す」ことで、初めて手に入るという逆説もあるのではないかと思うのです。

以上のようなことから、見た目が華やかな生活でも、愛の無いところには何の物語が生まれないように、一人ひとりが心の内に持っているベクトルが他者との関わりを避け、自分だけに向いていることで成し遂げられたストーリーはあまりにも幼いと言わざるをえません。
入口は、「楽しいから」、「やりたいから」など、何でもいいと思っていますが、ある時点からは自分軸から相手軸へのシフトが求められており、そしてそのような生き方が「丁寧な暮らし」のモデルの一つではないかと考えています。自戒の念を込めて。

私自身も「フェアトレードタウン」を作りたいという願いはともかく、フェアトレードをツールに「この地域社会および世界のために、何ができるのか」という相手軸を深め、大切な仲間と共有していきたいと願っています。歩みは亀さん以上にゆっくりですが…。
そんなことをフツフツと考えながら、数か月が経ちました。

最後に。
ケネディ大統領の就任演説のラストをよく思い起こします。まさにこの問いかけの精神が、今ローカルレベルでなされる時だと感じています。
And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.